文身国
文身國 在倭國東北七千餘里 人體有文如獸 其額上有三文 文直者貴 文小者賤 土俗歡樂 物豊而賤 行客不齎糧 有屋宇 無城郭 其王所居 飾以金銀珍麗 繞屋為緌 廣一丈 實以水銀 雨則流于水銀之上 市用珍寶 犯輕罪者則鞭杖 犯死罪則置猛獸食之 有枉則猛獸避而不食 經宿則赦之
『梁書』巻54 列傳第48 諸夷 海南諸國 東夷 西北諸戎
倭の東北方向にも国があった?
文身国も魏志倭人伝の中には出てきません。
ここでの注意点として、倭国から東北に七千里という記述が挙げられます。
先に出てきた侏儒国・黒歯国・裸国と海人は倭の南にあります。
距離と方角に間違いがある可能性は当然ありますが、倭国の比定地においては南だけではなく、東北方向も意識する必要があります。
ただし、ここで記述されている文身国は、邪馬台国と同時代に存在したとは限りません。
魏志倭人伝にはなく、梁書で追加されている内容であるため、邪馬台国の時代以降にできた国の話である可能性もあり得ます。
七千里という距離についても、文身国が邪馬台国と同時代に存在したかどうかで少し変わってしまいます。
魏志倭人伝の距離と同じ計測方法とする考えと、隋・唐時代の計測方法とする考えがあるためです。
時代 | 周~前漢 | 新・後漢 | 魏 | 隋 | 唐 |
---|---|---|---|---|---|
分(cm) | – | 0.2304 | 0.2412 | 0.2951 | 0.311 |
寸(cm) | 2.25 | 2.304 | 2.412 | 2.951 | 3.11 |
尺(cm) | 22.5 | 23.04 | 24.12 | 29.51 | 31.1 |
丈(m) | 2.25 | 2.304 | 2.412 | 2.951 | 3.11 |
歩(m) | 1.35 | 6尺 1.3824 | 6尺 1.4472 | 6尺 1.7706 | 5尺 1.555 |
里(m) | 405 | 300歩 414.72 | 300歩 434.16 | 300歩 531.18 | 360歩 559.8 |
「齎」という字の意味をどう解釈するか
齎という字は”贈り物”という意味と”持ち物”という意味があるため、「行客不齎糧」をどう訳すかで、意味合いが変わります。
贈り物と捉えて「行客に糧を齎えず」と訳せば、客をもてなさない集団で悪い印象になります。
この場合、直前の「物豊而賤」の解釈も重要です。
周辺国(倭国?)の配下にあり、鉱物は交易ではなく搾取されていて、文身国自体は貧しいと解釈できます。
一方、水銀など物品は豊かだが、土壌的に稲等が育ちにくく、食料は貧しいと解釈することもできます。
いずれにしても、客をもてなさないのではなく、もてなす余力がないと考えるべきでしょう。
逆に持ち物と捉えて「行客齎糧いらず」と訳すこともできます。
(齎糧-せいりょう-とは、旅の携行食のこと)
物が豊かであるため食べ物に困らない、と解釈できなくもないです。
ただし、不という字は多くの場合、動詞を打ち消す使い方をします。
名詞の齎糧を打ち消すのではなく、動詞の”与える”を打ち消す訳し方が自然のような気がします。
文身国は水銀と関連する
文身国は水銀を大量に保有していることから、水銀鉱山に近い場所、あるいは水銀鉱山近くの村と容易に交易できる程度の距離にあったと推測されます。
日本国内の水銀鉱山は、奈良県を中心に三重・和歌山あたりの一帯(10ヶ所ほど)や北海道(15ヶ所ほど)に集中して存在します。
下図はあくまで代表的な日本の水銀鉱山の分布図であり、掘り尽くすなどして閉山したものも含めると数はさらに増えます。
例えば、関東圏に水銀鉱山が無いように見えますが、埼玉・静岡などにも小規模ながら水銀鉱山自体は存在します。

文身国は城がない
先述の通り、ここで記述されている文身国は邪馬台国と同時代の国とは限りません。
梁書の成立年代等から考えると、隋や唐の時代の話が混じっていても不思議ではありません。
文身国 奈良説
遣隋使・遣唐使を派遣していた頃の日本は飛鳥~奈良時代であり、国の中心は奈良県辺りという認識は、どんな学説を唱えている人でもほぼ共通認識となっています。
そうなると、城が無いことから文身国を奈良県辺りと比定する説が出てきます。
当時、九州~瀬戸内にかけては朝鮮半島との戦いに備えて、東北地方には蝦夷との戦いに備えて多くの城が築かれていましたが、中央の奈良近辺は城が少なかったようです。
この説では、奈良(文身国)は倭国の東北に位置することになります。
当時の中国でも倭国の中央は奈良と認識していた可能性が高いです。
後付けの記述であるならば「倭国 = 奈良近辺」と記述するため、矛盾が生じる気がします。
文身国 蝦夷説
日本書紀には蝦夷について「身を文けて(つまり文身=入れ墨)」との記述があることから、文身国の有力な説は蝦夷領土説となっています。
ただし蝦夷領土は、北海道のみ、東北地方まで、関東圏までなど諸説ある状況です。
文身国蝦夷説ではあまりにも比定地が広く、絞り込むためには蝦夷領土の範囲についての議論が必要になります。
ただし蝦夷説に関しては、倭国九州説でも倭国畿内説でも蝦夷領土は倭国の東北方向になってしまうため、倭国の比定材料としては弱いです。
大漢国
大漢國 在文身國東五千餘里 無兵戈 不攻戰 風俗並與文身國同而言語異
『梁書』巻54 列傳第48 諸夷 海南諸國 東夷 西北諸戎
文身国を蝦夷領土であった関東や東北地方と比定すると、そこから東に五千里という解釈が少し厳しくなります。
五千里という距離をどの程度と採るかは議論の余地があるものの、いずれにしても関東や東北地方の真東に陸地はありません。
逆に、文身国を奈良や北海道と考えると、東にも陸が存在するため説得力が増します。
ただし、北海道と考える場合の文身国比定地は西側(道南~道央)としないと厳しいです。
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