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宋書(宋書倭国伝)

『宋書』は中国南朝の宋のついて書かれた歴史書です。時代的に離れているため邪馬台国論争の史料として使える内容はほとんどありませんが、邪馬台国より後の時代の倭国の状況を知ることで、邪馬台国時代の推測材料とすることは可能です。

『宋書』は中国南朝の宋の60年間について書かれた歴史書ですが、倭国に関する記述もあります。

時代的に離れているため、邪馬台国論争の史料として使える内容はほとんどありません。
しかし、邪馬台国より後の時代の倭国の状況を知ることで、邪馬台国時代の推測材料とすることは可能です。

目次

梁書とは

宋書は、本紀10巻・列伝60巻・志30巻の計100巻からなる、中国南朝の宋国1についての歴史書です。
列伝第57・夷蛮(夷蠻)には中国周辺の国について記述されており、その中には倭に関する記述もあります。
倭に関する部分は、一般的に”宋書倭国伝”と呼ばれています。

資料データ

著者沈約
成立年497年

沈約は441~513年の、南朝宋・斉・梁の3朝に仕えた歴史家。
竟陵八友(きょうりょうはちゆう)と呼ばれる、中国・六朝時代の斉の8人の文人グループに数えられるなど文に関する能力は高かったようです。

出典

原文を読む@维基文库
2025.02.09 閲覧確認

信憑性

総合評価
( 3 )
メリット
  • 成立年(497年)が南朝宋が滅亡(479年)直後。
デメリット
  • 欠落が多いとされ、現存文章は後年に補間されていると思われる。

宋書は南朝宋滅亡からわずか20年後に成立しており、内容自体は信憑性が高いという評価が多数です。

一方で、1782年成立の『四庫全書総目提要』によれば一部は早くに散逸しているなど、後年に補間されている部分もあるため、現在の宋書が原文通りかどうかは不明です。

與今本卷數符合。或唐以前。其表早佚。
(…中略…)
蓋宋初已闕此一卷。後人雜取高氏小史及南史以補之。

『四庫全書総目提要』宋書一百巻

内容

ここからは、宋書の中でも倭に関する記述のみ抜粋してご紹介します。

文帝の時代

元嘉七年(430年)

七年春正月癸巳 以吐谷渾慕容璝為征西將軍 沙州刺史 是月 倭國王遣使獻方物

『宋書』卷5 本紀第5 文帝

元嘉十五年(438年)

夏四月甲辰 燕王弘遣使獻方物 立皇太子妃殷氏 賜王公以下各有差 己巳 以倭國王珍為安東將軍
(…中略…)
是歲 武都王 河南國 高麗國 倭國 扶南國 林邑國並遣使獻方物

『宋書』卷5 本紀第5 文帝

元嘉二十年(443年)

是歲 河西國 高麗國 百濟國 倭國並遣使獻方物

『宋書』卷5 本紀第5 文帝

元嘉二十八年(451年)

秋七月甲辰 安東將軍倭王倭濟進號安東大將軍

『宋書』卷5 本紀第5 文帝

孝武帝の時代

大明四年(460年)

十二月乙未 上於華林園聽訟 辛丑車駕幸廷尉寺 凡囚繫咸悉原遣 索虜遣使請和
丁未 車駕幸建康縣 原放獄囚 倭國遣使獻方物

『宋書』卷6 本紀第6 順帝

大明六年(462年)

三月庚寅 立第十三皇子子元為邵陵王 壬寅 以倭國王世子興為安東將軍

『宋書』卷6 本紀第6 順帝

順帝の時代

元徽五年(477年)

冬十一月己酉 倭國遣使獻方物 丙午 員外散騎侍郎胡羨生行越州刺史 以交州刺史沈景德為廣州刺史

『宋書』卷10 本紀第10 順帝

昇明二年(478年)

五月戊午 倭國王武遣使獻方物 以武為安東大將軍 輔國將軍 行湘州事任候伯有罪伏誅

『宋書』卷10 本紀第10 順帝

倭の五王

倭國在高驪東南大海中 世修貢職

『宋書』卷97 列傳第57 夷蛮 東夷

太祖元嘉二年 讚又遣司馬曹達奉表獻方物

『宋書』卷97 列傳第57 夷蛮 東夷

讚死 弟珍立 遣使貢獻
自稱使持節 都督倭百濟新羅任那秦韓慕韓六國諸軍事 安東大將軍 倭國王
表求除正 詔除安東將軍 倭國王
珍又求除正倭隋等十三人平西 征虜 冠軍 輔國將軍號 詔並聽

『宋書』卷97 列傳第57 夷蛮 東夷

二十年 倭國王濟遣使奉獻 復以為安東將軍 倭國王
二十八年 加使持節 都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事 安東將軍如故
并除所上二十三人軍 郡

『宋書』卷97 列傳第57 夷蛮 東夷

濟死 世子興遣使貢獻
世祖大明六年 詔曰:「倭王世子興 奕世載忠 作藩外海 稟化寧境 恭修貢職。新嗣邊業 宜授爵號 可安東將軍 倭國王。」

『宋書』卷97 列傳第57 夷蛮 東夷

興死 弟武立 自稱使持節 都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事 安東大將軍 倭國王

順帝昇明二年 遣使上表曰:「封國偏遠 作藩于外 自昔祖禰 躬擐甲冑 跋涉山川 不遑寧處。東征毛人五十五國 西服眾夷六十六國 渡平海北九十五國 王道融泰 廓土遐畿 累葉朝宗 不愆于歲。臣雖下愚 忝胤先緒 驅率所統 歸崇天極 道逕百濟 裝治船舫 而句驪無道 圖欲見吞 掠抄邊隸 虔劉不已 每致稽滯 以失良風。雖曰進路 或通或不。臣亡考濟實忿寇讎 壅塞天路 控弦百萬 義聲感激 方欲大舉 奄喪父兄 使垂成之功 不獲一簣。居在諒闇 不動兵甲 是以偃息未捷。至今欲練甲治兵 申父兄之志 義士虎賁 文武效功 白刃交前 亦所不顧。若以帝德覆載 摧此強敵 克靖方難 無替前功。竊自假開府儀同三司 其餘咸各假授 以勸忠節。」
詔除武使持節 都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事 安東大將軍 倭王

『宋書』卷97 列傳第57 夷蛮 東夷

注釈・参考資料など

  1. 420~479年の中国王朝 ↩︎

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